どうして世界一周旅行をするのか?

 なぜこんなことをしようと思ったのか。ちょっと考えてみた。 初めて一人で新幹線に乗って東京から博多まで行ったのは小学校3年だか 4年生のときだった。ただただ乗っていたというだけだったが、自分では一人前のつもりだった。今考えれば 小3や小4じゃどっからどう見ても子供だから回りも珍しがるわけだ。

 中学の頃からどこか遠くの国に行ってみたいなあとは思っていた。 まだその頃は漠然としたものだった。

 高校になって国内をちょろちょろと旅行するようになり、カメラとも出会った。 先輩に借りたキャノンのEOSシリーズの一つだった。 高2のとき一人で北海道旅行をしたのが一番の冒険だった。 高3のとき椎名誠が演説にきた。椎名誠が高校のOBだったかららしい。 まったくこの人が誰だか知らなかった俺はただの小説家だと思っていて、どうせいつでも机の前に座って毎日頭を掻きながら仕事をしている人というイメージしかなくかったるいなあと思いながらその話を聞きに行った。聞いてみるとこれがなんてすごい冒険家なんだと感化されてしまった。その頃にはいつか世界を1周してみたいと思っていたから彼の体験談はその一つ一つが刺激的だった。また、その頃は当時流行っていたロードマンという自転車に乗って県内あちらこちら走り回っていて大学に入ったらサイクリングクラブに入ろうと決めていた。

 高校時代にまったく勉強をしてなかったので、担任には行く大学は無いと言われ、浪人生活を余儀なくされた。しかし、その浪人時代は暗いものではなく学ぶことの面白さを知り、物理の美しさを知った。物事がすべて対称的にできていたり、類似点から他を推測したり、とにかく物事はすべて原因と結果があり、因果応報である。また、物事はすべてどこかで帳尻が合っているというエネルギー保存則なんかも面白かった。エネルギーは保存されているはずだからというところから式を立てていったりは驚きの境地だった。そして、物理の先に宇宙とか、素粒子とか、世の中で一番でかいものと一番小さいものがあって、また、それが密接に関係していることもなんとなく感じることができて、それをどうしても知りたくなった。浪人時代は結構毎日が充実していた。もしかしたら今までの人生で一番実りある時期だったかもしれない。努力をすれば必ず結果はついてくるということを知ったのもこの時期だった。

 2年間の浪人生活で物理をやりたいと思って、大学に進学した。その頃親父がサウジアラビアに出張で行っていたのでそれまでに貯めた24万円をすべてはたいて5月のゴールデンウィークを2週間使って履修届も友達に頼んで自分はサウジアラビアに行った。これが初めての海外旅行だった。親父は旅行プランを立て一流ホテルに泊めてくれた。しかし、俺には屋台で買って何かを食べたり、通じない言葉を何とか駆使して何かを買ったりとかが面白かった。親父との旅行ではあまりそういった場面は無かったがそれでも異国の地というもののエキゾチックな雰囲気だけでも俺の冒険心に火をつけるには十分だった。

HUCCにて

 帰ってきてからサイクリングクラブに入部、一応体育会には入っていないが、ノリは体育会系で飲みと走りは結構獄かったように思う。そこで、自転車ツーリングというものに出会った。テントを持ち、1日走って走れなくなったら泊まってというかなり気ままな旅だった。はじめは世界を自転車で走るなんて考えても見なかったが夏のツアーという行事で1ヶ月間走ったことで自信もつき、今度は海外を走りたいと思ったのはこの頃だった。

 そんなことばかり考えて勉強を疎かにしていたら物理学科に入れずに地球科学科に回されてしまった。どうしようかとも考えたが、その頃は旅のほうが楽しくてそんなことはどうでもよくなっていた。

南アフリカでのひとコマ

 入学してすぐに仲良くなった友達がいたがそいつとシルクロードを旅しようといっていたのだが、その計画がアフリカを自転車で走るというものになった。大学2年生の終わりにそれが現実になった。行ったのは南アフリカで、一緒に行きたいといってきた3人とともに4人で出発した。ところがほんの1週間ほどで3人は自転車を断念し、結局そこから一人で走ることになった。途中で少しバスも使ったがまあ納得できるくらい走ることはできた。

カンボジアにて

 その後東南アジアを走って4年生になった。その頃には漠然と世界を自転車で一周しようかと考えるようにもなったが、クラブも終わり勉強の方もしっかりやらなければならなかった。しかし、どうも学科にはなじめなかった。勉強をしてもあまり興味が湧かなかった。地球科学は要するに地学だから物理とはまた違うわけだしあたりまえではあったのだが。物学科の量子力学の講義などは面白かった。転科しようかとも思ったがそうすると学年が下がり留年することになるので考えた。

 このまま学問をとるのか、世界を一周するか。そして頭と体のどちらが先に衰えるのか。教授とか見てると相当の年でも勉強ならできるだろうと思った。しかし、自転車に乗って、峠を越えるとか若いうちじゃなければできそうに無い。そこでいい写真をとって冒険家になるっていうのはどうだろうか。椎名誠みたいに…

 結局まず手始めに世界を自転車で一周してやろうということにした。

南アメリカにて

 あまり考えも無く卒業してしまった。ただただ南米を走ってやると思って。卒業旅行は南米大陸自転車横断と決めていた。期間は半年、もちろん就職など考えていなかった。帰ってからは新卒でもないしどこかで雇ってくれないだろうかと思っていたら塾の講師の口が見つかって、小中学生に数学や理科を教えることになった。何年かやって今度こそ世界を一周しようと思っていた。そして写真をとってそれを出版社とかに売り込んで誰かがかってくれるのなら写真家とか冒険家として過ごすのもいいじゃないかと結構あさはかな考えだったのかな。

 初めて教壇に立ったときは頭が真っ白になった。それでも慣れてくると結構面白いものでこのまま続けてもいいかなと思うこともあった。しかし、おまえの人生はそれでいいのか。大学を出るとき、物理学者か冒険家で悩んだじゃないのか。いつも頭の中で葛藤があった。だからって仕事を上の空でやっていたわけではない。仕事は一生懸命にやったつもりだ。自分の今できることを一生懸命やりたい。それが理想だった。漢字知らないし、 字は汚いからあまりいい先生じゃなかったかもしれないけど、自然科学に誰かが興味を示してくれればと机にはちょっと不思議なものなどを買い揃えたりして職員室まで来てくれる子には説明したりはしていたかな。教室で授業削るわけにはいかないから授業中は無理だったけど。でも一番教えたかったことは夢を持っててことだったのかな。自分の体験や夢や悩んでいることを語ってやりたかったな。誰かがここを見たら俺は俺なりに夢に向かって進んでいることを分かってもらえればそれでいい。

 仕事は1年契約だから旅立てる資金がたまった段階で、また悩んだ。しばらく自転車とか旅とかツーリングとか離れていたからどうも世界が遠くになった気がした。おまえの夢ってなんだ。なんだろう。塾の講師だったかな。そうじゃないな。

 物理学者、冒険家。

文集の言葉

 冒険家になろうと思って大学を出たんじゃないのかな。そんな時こんな言葉を思い出した。大学の同期の奴がクラブ内文集に書いた文章の中にあった。

 "人間には3種類しかない。"

  1. 夢を実現した人
  2. 夢を実現しようとして実現できなかった人
  3. 夢を実現しようとしなかった人

ボリビアにて

 自分はどれだろう。3番目にはなりたくないな。そう思った。2番目だって格好悪くないな。挑戦せずに逃げるのは一番やってはならないことだろうと思った。世界一周、こんなの成功するかわかんないけどやってみないとわからない。やらなきゃ失敗も成功も無いんだ。途中までだっていい、見たいものを見て、世界を体験してくるんだ。峠を越えて、町を抜けて、砂漠を撮って、人にあって、そこに何があるのかを知りたいんだ。この道に先に何があるのか知りたいんだ。そうだ。知りたいんだ。自分は好奇心の塊だ。そう気づいて自分の夢も分かってきた気がする。"知る"ってことだ。物理のときも宇宙がどうやって始まったのか。世界を構成している一番小さな粒ってなんなのか、それが知りたかった。今も地球の裏側ではどんな暮らしをしているのか。どんなものを食べているか。どんな景色が広がっているのか。それを体をもって知りたいんだ。やりたいことをやるんだ。知りたいことを知るんだ。始めなければ結果は出ない。そんな風に思って退職に踏み切れた。きっとこれでいい。やりたいことならなんだってできる。

 まずは始めなければ。

 Nothing is impossible、 If you really want!!